プロフィール

藤本亮太郎
東京に生まれ、岡山で育つ。3歳から5歳までの幼少期をほんの少しだけイギリスで過ごした。英語圏に身を置いたとはいうものの、幼かったため言語体験については多くを記憶していない。小さなコミュニティで何かのことばで意思疎通をしたのを覚えており、ことばを交わしたということはいくらか英語を喋ったのだろうと、今になってから思う程度である。家族に聞くと、「手洗いを幼稚園で教わってきて家で『モッショーハン』と言いながら洗っていた」らしい(“Wash your hands.”のことだろう)。自分がぼんやり憶えているのは、近所の子に(ドラゴンは好きか?)にあたる質問を、何らかのことばで伝えたことくらいで、とにかく、自分がはじめて英語に触れたのはこの頃になる。

その後は地元岡山で高校までを過ごす。小学校時代の英語教育は、憶えている限り2回だけだ。4年生くらいのときだったか、ネイティブのお兄さんお姉さんを呼んで学年全員でゲームをするというだけのもので、このお粗末な時間が自分が受けたはじめての「英語教育」になった。6年生のとき、年の離れた姉がTOEICというテストで高い得点をとったと聞いて誇らしげに思ったのも憶えている。僕の姉は英語ができるんだ、という気持ちがあった。なにか秘術でも操れるかのようなイメージを持っていた。

実質はじめて英語を意識したのは、この国ならほとんどがそうであろうが、中学に上がったときになる。中学受験で地元岡山の中高一貫校になんとか滑り込み、ここで典型的な文法・訳読中心の教育を受ける。「ことば」としてよりもむしろ「教科」として学習した英語だったが、成績のほうは悪くはなく、高校の終わりまでずっと得意科目だった。特に6年間通して宿題に課された「英文和訳」はとてもお気に入りで、テキストの英文をノートの左側に写し、右側に日本語で訳していくのは心地がよかった。

1年浪人して入学した東京大学では、「ことば」としての英語の側面を強く意識した。高校までは得意だった英語は、生きたマテリアルや実際のコミュニケーションのなかで遭遇すると歯が立たないことがしばしばで、その意味で毎日が挫折の連続だった。特に、喋れないという悩みは非常に大きいもので、ここを克服するのにはたいへん苦労した。論文を読むのに英英辞典や分厚い文法書を一生懸命ひいたし、英語でスピーチするのに夜通しかけて原稿を用意したこともあった。自分の英語力に自信が持てなくなった時期でもあったが、いま振り返ると、ここで地道に積み重ねたことがいまの自分の礎になっていることを確信している。

大学生の時期、キャンパス生活の外で熱中したのは、居酒屋と塾のアルバイトだった。アットホームな居酒屋では、自分の親かそれよりもはるか上の方々に、キャンパスでは学べぬことをさまざま教えていただいた。塾の方は、「教えながら一からやり直して、自分の英語力への自信を取り戻してやろう」と意気込み、アルバイトとは思えぬほど熱心に取り組んでいた。学んだことを教えるという行為は自分の性にもあって非常に楽しめた。生徒と二人三脚になって前に進んでいくことに大きな喜びを感じ、教育を生涯のキャリアにしようと思い立って、大学を辞めてそのままの流れで教育業界に入った。

そこから今に至るまで、さまざまの塾・予備校・教育サービスに関わらせていただいた。個別指導、集団指導、あるいはここ数年で躍進しているオンライン指導等々、それぞれの場がそれぞれの哲学・理念をもって教育を展開するなか、与えられた場で自分の価値を出すというのはどういうことかを常に考え、職業人としての振舞いを日々意識しながら、今も英語指導のプロとして指導力と専門力の向上に努めている。

英語に関しては、大学時代の自信喪失からはすっかり抜け出すことができた。かつては太刀打ちできなかった英検1級は、筆記の方は余裕で合格するまでになった。『英語教育』という専門誌上に、自分の英文和訳が選出される栄誉も頂戴した。このような目に見える「栄冠」は、自分の実力を外側から保証してくれているという点で、自らを安心させてくれる。ところが、それよりもはるかに重要なのは、「できない自分を認められるようになった」という点である。資格試験のようなタイトルは無数にあるひとつの中間地点にすぎず、忘れてはならないのは、この裏にはかならず「わからない」が存在するということだ。「できなくたっていい」、「わからないは恥ずかしいことじゃない」、こうしたマインドセットを持つに至ったという意味では、内側から強く自分を信じることに成功した実感がある。「わからない」を認めることができてから、自己評価にある種の余裕をもてた気がしている。

上記の心もちは、プロとしてよい指導を提供する際にも必須であると思っている。もちろんプロとして最低限のハードルは超えているつもりだが、自らの「わからない」を認められるからこそ、対面する生徒の「わからない」にも真摯に向き合うことができると信じている。「わからない」ことは全く悪いことではない。これをよい意味で受け入れるところから、学びは始まる。吉田塾では、ぜひ生徒さんにそこに気づいていただきたいと思っている。